東京高等裁判所 昭和41年(う)472号 判決 1967年3月07日
被告人 永島勇
主文
本件各控訴を棄却する。
当審における訴訟費用のうち、証人藤間強一、同水島信義に支給した分は、被告人の負担とする。
理由
本件各控訴の趣意は、検事太田武之名義および弁護人神崎正義名義の各控訴趣意書記載のとおりであるから、いずれもここに引用する。
弁護人の控訴趣意について
所論は、原判決には事実の誤認があるとし、被告人には強姦の犯意がなかつたし、暴行または脅迫を加えた事実もない、また、被告人の行為と被害者の死亡との間には相当因果関係がないから、被告人は無罪であると主張する。
しかし、原判決挙示の各証拠によれば、原判示強姦致死の事実は優にこれを認めることができるし、記録並びに証拠物を精査し、当審における事実取調の結果を参酌して検討するも、所論の如き事実誤認を疑わせるような形跡は見出しがたい。
所論は、まず、被告人に強姦の犯意がなかつたと主張するが、なるほど、被告人が被害者とともに原判示小田急線本厚木駅前から厚木市愛甲方面に赴くについては、むしろ被害者から誘われたことであり、同市愛甲一、〇〇〇番地先の原判示墓地に至るまでの間、被害者は何かと被告人の関心をひくような言動を示し、被告人の求めに応じて接吻を許し、同墓地においても、当初は、被告人の接吻、愛撫を許す等、被告人との交際、逢瀬を楽んでいる如き状況が認められることは所論のとおりであり、そのころまでは、あるいは、所論の如く、被告人の接吻愛撫に止まらず、姦淫行為をもあえて拒まないとの心情にあつたと認める余地がないわけではないが、原判示の如く、同墓地において被告人から現実に肉体関係を迫られるに及び、「気持が悪いから、ちよつと待つてくれ。」と言つて被告人を遠ざけた以後においては、被告人の姦淫行為に応ずる意思がなかつたことは、その後同女が逃走を図り、被告人に掴まれた手を振り切つて本件事故を見るに至つた経過に徴して疑いのないところであり、被告人は右の如き被害者の心情をその行動によつて知りながら、なおかつ姦淫の意図をもつて逃げようとする同女の手を掴み、無理に引き戻そうとするの挙に出ているのであるから、これをもつて強姦の犯意がなかつたとは到底、言いえない。
所論は、また、被告人には強姦罪にいわゆる暴行、脅迫がなかつたと主張するが、被告人が右の如く逃走しようと企てている被害者の手を掴み、なおも振り切つて難を免れようとしている被害者と激しくもみ合つたことは被告人も原審公判廷においてあえて否定しないところであり、その他の証拠によつても明白であるから、これをもつて強姦罪にいわゆる暴行と認めるに十分である。所論は、相手方の抵抗を抑圧するに足るものではないから本罪の暴行とはいえないとも主張するが、所論は独自の見解に過ぎず、右暴行の程度は、相手方の抵抗を著しく困難ならしめることをもつて足ることは最高裁判所の判例とするところであり、原判示暴行が、少なくとも、その程度に達するような暴行であつたと認められるので、右主張は当らない。
所論は、さらに、被告人の行為と被害者の死亡の間には、相当因果関係がないと主張するが、原判決挙示の被告人の各供述調書、各実況見分調書、検証調書によれば、被告人が原判示暴行の所為に出た場所は、前記墓場前の畑の中であるが、被害者の逃路経路をそのまま辿れば、小田急線の切通しの崖上の農道に達すること、右崖は、勾配が約七〇ないし八〇度、斜面沿いの高さが約九メートルで、底部にはコンクリートの側溝があること、農道と崖の境にはなんらの牆壁がなく転落の危険があること、当時右農道上には工事用の玉石、間知石が積み重ねられていて極めて足場が悪かつたことが明らかであり、また、被害者は、被告人の手を振り切るや、従前の方向に走つて逃げ、約七メートルにして農道上に達したことが認められるとともに、勢いあまつて石に足をとられ、農道を崖の方に踏みはずして真逆さまに崖ぞいに側溝へ転落し、コンクリートに頭部を強打して死亡するに至つたものであることを推認するに足りるが、以上の如き状況と経過に徴すれば、被害者が崖から転落して傷害を受け、そのため場合によつては死亡することがありうることは被告人の暴行から通常予測しうる範囲に属するものと解されるのであるから、被告人の所為と本件結果との間には因果関係が存するものと認めるのを相当と解するので、被害者の死亡について被告人に責任がないとはいえない。
以上の次第で、弁護人の論旨は、すべて、その理由がない。
検察官の控訴趣意について
所論は、原判決の量刑は不当に軽いと主張するので按ずるに、本件は、原判示のとおり、かつて職場を同じくしながらも顔見知りの間柄に過ぎなかつた当時僅か一五歳の被害者と、夜間、散策中、劣情をおぼえて情交を迫つたところ、これを拒まれるや、強いてこれを姦淫すべく、逃げようとする同女の手を掴んで引き戻そうともみ合ううち、被告人の手を振り切つて逃走を図つた被害者が、附近の崖上から約九メートル下の電車軌道敷側溝に転落し、コンクリートに頭部を強打して頭部骨折兼脳内出血等の重傷により即死するに至らしめた案件であるところ、その結果は悲惨かつ重大であり、年若くしく非業の死を遂げた被害者並びにその遺族近親者の心中は察するに余りあり、その悲嘆と被告人に対する憎悪の情は所論をまつまでもない。かかる事情に所論の如き被告人の従前の非行歴等を併せ考察するとき、その情状が決して軽微といえないことは所論のとおりであるが、しかし、被告人が被害者とともに原判示墓場附近に赴いた事情および同所に赴くまでの間における被害者の言動は、すでに前段弁護人の論旨について言及したとおりであり、本件犯行は被害者においてこれを誘発したものというも過言ではない情況にあつたこと、原判示暴行の態様も、前記の如く被害者の抵抗を著しく困難にしたものとはいえ、さほど非情、執拗なものとは認められないこと、前記結果の発生も、被告人としてはむしろ意外のことに属すること等、事案の発端並びに経過態様に徴すれば、ひとり被告人のみを責め、厳しくその責任を問うに急なるは酷に失して不当といわざるをえない。
所論は、崖下の線路傍に転落した被害者のもとに立ち寄りながら、これを放置して帰宅した被告人の心情を残忍非情と糺弾するが、被告人は当時年令一七歳であり、被害者の死亡が意外な結果であつただけに、罪に対する恐怖の余り、なす術もなくその場を逃走したと供述する被告人の心情も推量するに難くなく、所論の如く救護の措置に出なかつたことは甚だ遺憾ではあるにしても、これをもつて直ちに被告人の性格を冷酷無情のものと解する見解には、にわかに賛同できない。
所論はまた、被害者の素行、性経験の有無等に言及するが、いかに素行、身持ちの芳しからぬ者であつても、その生命が最大の尊重を払われるべきことは当然であるから、原判決が、被害者の素行等について所論と見解を異にし、その人命に差等を設けて量刑上これを軽視したとは到底考えられない。
所論は、さらに、被告人が原審公判廷以来、犯意の点について否認していることを捉え、被告人に改悛の情がないとも論難するが、単に否認に止まり、ことさら虚構の事実を構えて不当にその罪責を免れようとする如き格段の事情の認められない限り、所論の如く否認をもつてただちに改悛の情なきものと即断することはできない。
その他、所論に徴し記録を検討し、当審における事実取調の結果を参酌して考察するも、被告人の本件犯行が獣慾をほしいままにしたまことに悪質重大な犯行であるとか、被告人の性格が残忍非情である等と主張する所論は、検察官の全立証をもつてしてもこれを肯認するに足りず、また、所論指摘の被害感情、示談の点については、原判決後金二〇万円を提供して示談が成立していることをも考慮すれば、所論にもかかわらず、原判決の刑が軽きに失し不当であるとは認められない。論旨は理由がない。
よつて、本件各控訴は、いずれもその理由がないから、刑事訴訟法第三九六条に則りこれを棄却し、当審における訴訟費用のうち、証人藤間強一、同水島信義に支給した分は同法第一八一条第一項本文により、被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。
(裁判官 河本文夫 藤野英一 金隆史)